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埼玉県立歴史と民俗の博物館  

 
 

担当学芸員インタビュー 第2回

 駅弁の地方色について 
 -現在、駅弁というと、「全国駅弁大会」に代表されるように地方色豊かというイメージがありますが、最初の駅弁はおにぎりと漬け物だったんですよね。サンドイッチもあまり地方色はなさそうです。駅弁に地方色が強くなるのはいつのころからでしょうか?
 
佐藤: おそらく高度経済成長期以後といっていいんじゃないかと思います。ただ森のいかめしは戦時中にできたものです。そういうものもあるにはあるけれども、それも食糧難の時代に有名なイカを使ったら名物になったと。基本的には高度経済成長期以降に地方色が豊かになったということでしょう。
 
 
 -一方で、掛紙が地方色豊かになったのは、いつ頃からでしょうか? やはり、弁当の中身よりは先行するのですか?
 
佐藤:掛紙に名所の絵を刷るという方が先行していて、戦前期から昭和初期には出てきます。最近たまたま食べた大船軒の鰺の押し寿司は大正年間に名所を印刷した掛紙を出しています。
 
 
 -埼玉県ならではの駅弁の特徴って何かあるんですか?
 
佐藤:内容は変哲のないちらし寿司なんですが、盆栽すしというのがあります。当館の近くにある盆栽町、盆栽業者さんがたくさんある町ですが、それにちなんで、食べたあとの容器が盆栽の鉢に使えるというのが売りのお弁当がありました。
 
当然、本来の盆栽の鉢は底に穴があいているんですけど、弁当容器に穴があいていると中身がこぼれてしまうので、容器の底はふさがっています。中身を食べたあとに底に穴をあけると鉢に使えるということだったらしいんですが、穴をあけるのが簡単ではなくて、あけようとして割れてしまうという事例がたくさんあったということを漏れ聞いています。
 
盆栽すしはムサシ食品ができた昭和23年以降、いつできたのかちょっとわかりませんが、平成元年くらいまではありました。この鉢をずっと使っていたかはわかりませんが。あとは熊谷の栗飯というのもありました。
 
   
 盆栽すしの掛紙(左)と容器(右)
 
 
 戦前・戦中の駅弁について
 -戦時中の掛け紙に、スキー場やスキー宿の案内が書かれたものがありますが、これも広告ですか? 掛け紙を広告媒体としての利用というのは、広く見られたのでしょうか? その起源はいつごろでしょうか?

佐藤: 戦時期のスキーの掛紙は多分広告ではないと思いますね。掛紙に広告を刷るのは大正期から昭和初期の一時期なんではないかと、いまある資料を見ただけなんですが、そう思います。
 
1937年に日中戦争が始まって戦争が本格化するんですけども、太平洋戦争が始まる前っていうのは軍需景気によって好景気になるんです。それで現代的な文化っていうのもある意味その頃に広がってくるんですね。
 
1930年代半ばはスキーが非常に流行する時期なんですよ。東京からですと半日かければ新潟に行けますので、その沿線などでスキー客が買うことを期待したんだと思います。それを反映したデザインでしょう。
 
戦時期の場合は、スキー旅行に行く人のためにスキーの絵を描きますが、建前として「体位向上」のためにスキーに行くと。実際はレジャーなんですけど、戦争中なので単なる遊びではなくて兵士として強い体を作るためなんだとして、「体位向上」の標語を書くわけですね。
 
 
 -戦時中の掛紙には「水筒は持参しましょう」という呼びかけが見られますが、これはどうしてですか?

佐藤: なんでですかね。資源節約のためでしょうか。戦時中は金属が軍需用に転用されて、陶器も金属の代用品となりますから。石炭からエネルギー転換して石油を利用したプラスティック容器が入ってくるのは戦後のことなので、それまでは陶製の茶器だと思うんですね。やっぱりそういう資源を節約して、ということだと思うんですが。
 
 
  -戦時中の弁当の中身は、どんなものだったのでしょうか?
 
佐藤: 正直わからないんですが、それまでの弁当と似たようなものもあるんですけど、ひとつわかりやすいのは「銃後弁当」というのがありまして、「銃後を守る」というのとかけて15銭で売っているんですね。その当時の一般的な弁当の値段っていうのが30銭で1/2なんです。
 
掛紙のひとつを見ますと、前線に行っている兵士の苦労を偲ぶために簡素な内容のお弁当を食べましょうということで、おそらくおかずの数なんかも少ない、そういうようなものも戦時中には売られていたんだと思います。
 
ますます食糧事情が厳しくなってくると、代用食のお弁当といって、パン食弁当、米より小麦のほうが多少手に入るんでしょうか、そういうこともあって代用食の弁当というのも出てきたようです。
 
 
 
 
 -空き箱の処理についての注意書きがおもしろいですね。「窓から捨てずに腰掛けの下へ」となっているものから、時代が下ると「くず物入れへ」となっているようです。かつてゴミは窓の外へ投げ捨てていたものだったのでしょうか? また、椅子の下に置くものだったのでしょうか?

佐藤:日本人は礼儀正しい」といいますが、そうでも無かったということでしょう。旅行に行ったら窓からゴミを捨てるのが普通だったということですよね。それが旅行者のマナーもだんだん向上してきて、ゴミを持ち帰ってくださいという風になる。
 
「腰掛けの下に置いてください」というのは、いまみたいに車内にゴミ箱がありませんから、置いてくれれば投げるよりはましだったということじゃないかと。それと沿線に作業する人がいますから、空ビンなどがあたると危険なんです。
 
また新幹線や特急列車はいまは窓が開きませんから、冷房もなくて窓の開けられた列車で旅行していたという時代背景を示すものでもあります。